ナレンドラ ダモダルダス モディ नरेन्द्र दामोदरदास मोदी Narendra Damodardas Modi 1950 9 17生 18代インド首相 前グジャラート州首相

2015年02月
チェンナイの鉄道(MRTS)
◇ MRTSに乗って
実はインドは鉄道王国で、その路線距離は世界5位と言われている。
チェンナイ中心部には、インド各都市とを結ぶチェンナイ中央駅(Chennai Sentral Station)と、タミル・ナードゥ州の各地と結ぶチェンナイ・エグモア駅という2つの終着駅がある。
その他にも、市内にはMRTS(Mass Rapid Transit System)と呼ばれる高架上の広軌鉄道が走っている。
インドで鉄道に乗ってみたかったのであるが、昨年(2014年)5月にチェンナイ中央駅で爆発事件が起きたことと、朝晩の人人人で溢れかえる車両や駅を見て少し怯んでいた。
しかし、とある休日の買い物帰りにMRTSの駅を見掛けると、「どうしても乗りたい!」という衝動を抑えきれず、吸い込まれるように駅へと足を向けてしまった。
ここはチェンナイ空港から10kmほど離れたMRTSのVELACHERYという駅だ。左側のアーチ型の建物が新しい駅舎だろう。右側の旧駅舎は取り壊しの途中で放置されているようにみえる。建てるにせよ壊すにせよ、予算が無くなると、そのまま放棄されるのがインドの特徴だ。
駅舎へ向かう前に周辺を散策。魚市場を見つけた。
インドの生魚は衛生状態や保管・取扱いが劣悪である上、環境汚染による鉛・水銀・ヒ素・カドミウムなどの影響も計り知れないことから、やはり買って食べようという気にはなれない。しつこく呼び止められるも、ここはスルー。
駅舎の前には駐輪場があり、おびただしい数のバイクが置かれている。
チェンナイ中心の駅や会社には駐車場が無いところが多いため、ここにバイクを止めてMRTSで通勤するインドの民が多いようだ。今日は休日なので管理人も暇そう。それでもこの凄まじい量とは・・・。インド12億人のボリュームを実感する。
では、そろそろ駅舎へ。
入ってみると・・・何もない・・・??
しかも工事中だ。ただの空間だけが広がっている。
切符を買おうにも売り場が無い。
改札口も無いので、そのままホームに入ってみた。
ホームにいたインドの民に切符売り場を尋ねると、「あっちだ。あっち!」と朽ちかけたほうの駅舎を指さす。廃墟駅舎じゃなかったのか・・・。
あちこちで寝そべる犬を踏まないように、ホームを歩いて旧駅舎の方へと向かうと、ここで切符売り場を発見。
とりあえず「隣駅まで」というリクエストで切符を購入。
15km以内なら5ルピー(約9円)という安さだ。これで5駅先まで行ける。
自動券売機もあったがヒンドゥ語で書かれているため意味不明。タミル語を使うチェンナイの民も読めないらしく、券売機を使っている人はいなかった。
インドの鉄道に改札口は無い。無賃乗車しようと思えば幾らでも出来そうだが、もし車内の検札で見つかった時の罰金が大きいため、そのリスクを負う民は少ない。
時刻表を見ると昼間は約20分間隔で走っている。どうせ時間通りに発着する訳がないので、ホーム周辺をブラブラ歩き回ってみた。(考え方がひねくれてきたようだ・・・)
「どこから来たんだ?」と話しかけてきたインドの兄ちゃんに頼んで、寝転んでいた犬と記念撮影。日本だったら何も考えず犬の頭を撫でているところだが、さすがにインドでは狂犬病を意識して、ぎこちない距離感となる。殆どはおとなしい犬なのだが。
運転席や車両の中も色々とチェック。
座席の様子も特徴的。
車両と車両の間に通路は無い。
写真を撮ってくれた兄ちゃんが、「この列車は壊れて動かなくなったらしい。反対側のホームに行かなきゃだめだ」と言うので慌てて移動。どうりで人が少ないと思った。
列車を乗り換えて間もなく発車。平日の大混雑状況を外から良く見ていたが、休日は穏やかなものだ。
今日はドアや窓にぶら下がる人もいない。
1日に何度も停電するインド。きっと途中で止まったりシステムダウンすることも多いのだろう・・・
ドアは開けっ放しで閉めることが出来ない。
隣のPERUNGUDI駅。ひとまずここで降りてみた。インドにしては綺麗なプラットホームだ。
駅の外にも出てみたが、特に見るようなところは無く人影もまばら。
インドの子供たちは外国人に懐っこい。少し覚えたタミル語で話しかけると大喜びして色々と喋ってくるのだが、何を言っているのかさっぱり判らない。
駅前では、子供たちがクリケット(インドではメジャーなスポーツ)で遊んでいた。そういえば日本ではこういう光景を殆ど見なくなったな・・・。
暫く次の列車を待っていたが、なかなか来ない。すると今度は中学生くらいの子供が話しかけてきた。こっちの子供は英語が少し話せたので聞いてみると、「次の列車が壊れたらしいから暫く来ないだろう。」と言ってきた。
どれだけ壊れるんだ!!
仕方なく先へ進むのは諦め、今日は僅か一駅で引き返すこととなった。
チェンナイでゴルフ
それでもチェンナイにはゴルフ場が2箇所ほどあり、韓国の民や日本の民が訪れる。ただしゴルフ用具を売っている店は1~2件しかないので、道具に拘る人は日本から持ってくるか、シンガポール辺りで調達するしかない。
ではチェンナイでのゴルフについて少し紹介しましょう。
<事前準備と注意事項>
インドでゴルフをするためには、以下の準備をする必要がある。(特に暑季)
・肌の露出部に日焼け止めを塗る。これを忘れると、強烈な紫外線で皮膚に大ダメージを受ける。単純に「日焼け」などというレベルではないので、紫外線防御率の高い日焼け止めを使う。参考までに、日本皮膚科学会という公的機関から出ている日焼け止めの強さを示すSPF値の目安を以下に記載しておく。
日常生活・・・SPF5
軽い屋外活動・・・SPF10
炎天下のスポーツや海水浴・・・SPF20
熱帯地方での屋外活動・・・SPF30以上
ちなみに、私はSPF50(PA++)という、かなり強力なものを使っている。塗ると顔が不自然に白くなるが、外見を気にしてはいられない。
・水は最低でも1リットルは持っていくこと。これはラウンドの途中で命を繋ぐ水となるので、絶対に忘れてはならない。
・帽子と日傘。 脱水症状や熱射病を防ぐための必須アイテム。
・塩分補給ができるもの。(塩飴などが良いのだが、インドには売っていないので各自で工夫する)
・早朝スタート/午前中に終了が基本。午後になると気温がぐんぐん上昇し、その中でラウンドするのは命の危険もあるため、午前中に終わらなければ途中で切り上げる判断も必要だ。
写真(下)はチェンナイ市街から60Kmほど西にある「Edge Water」というゴルフ場。
客が到着すると、キャディ希望者たちが「俺がキャディだ!」、「俺にやらせろ!」と一気に集まってくる。下の写真の人数は少ないほうで、多い時には車の周りを完全に囲まれる。(中には子供もいる)


キャディを一人選んでゴルフバックを運んでもらう。
まずは受付の小屋(クラブハウス?)で料金を支払う。一人1700ルピー。
コースは全部で9ホール。一応、フェアウェイやグリーンは整備されている。
ただしシャワーもレストランも売店も無いので、ハーフで休んだりせずに18ホール連続でプレーする。
手動のカートをキャディが引っ張ってついてくる。さすがにキャディも暑いのか、少しでも待ち時間があると、カートのほんの僅かな日陰に隠れて直射日光を避ける。
コース途中にある休憩所。というより「避難所」という意味合いが強い。暑季にラウンドしたとき、熱中症の危険を感じて何度かここに逃げ込んだ。見ての通り崩壊するリスクがあり、中には何もないが、他に避難できるような日陰はない。
途中に蟻塚があった。蛇や毒性植物もあるので、ボールがラフに入っても決して奥まで探しに行ってはいけない。
最後にキャディーにチップを払って終了。熱さと疲労による体力消耗は、日本でゴルフをするときの数十倍といっても過言ではないだろう。
インドでゴルフをするのは命懸けになることがあるので、入念に事前準備してから行くことをお勧めする。
オートリクシャ
数か月前の話になるが、ある週末の出来事である。
ドライバーが帰省するから休みをくれというので、何も考えずOKしてしまっていたが、食糧在庫が底を尽いていたことに後から気が付いた。近くに店は無いし、オートリクシャを使って買い物に行ってみようかと、軽い気持ちで出掛けることにした。
しかしこの判断が後悔の念を抱くことになろうとは、この時には知る由もなかった。
早速クーラーバックを持って外へ出ると、通りに数台のリクシャが並んでいたので近づいてみた。すると中でくつろいでいた運転手たちが、アスリート並のフットワークで瞬時に集まってきた。やはり外国人を見ると、格好の獲物が来た!と思うのだろうか。
「〇〇の店まで行きたい。幾らだ?」と聞くと、その中の数人が「???」という顔をする。
だめだ・・・。 言葉が通じないのが混じっている。
「英語がわかる人を選ぶ」と言うと、それを理解した3人が勝ち誇ったように、タミル語で「#;$*>%@\|&^!!!」と叫んで他の運転手を追い払った。おそらく、「お前らはダメだ!あっちへ行け!」とでも言ったのであろう。
さて、ここから値段交渉が始まるのだが、相場は高くても200ルピーくらいだという予備知識を持っていたので、最初から500だ700だのとふっかけてくる彼らを無視して、「100ルピーでどうだ?」と言ってみた。
一瞬、彼らは互いの顔を見合わせたかと思うと、矢継ぎ早に「400でどうだ!」「俺なら350だ!」「俺は300!」と、いきなりオークションが始まった。
40℃近い炎天下の中、暑苦しい交渉は早く終わらせたく「150以上は払えないよ」と言うと、今度は3人で何やら騒ぎ始め、乗客を蚊帳の外に追いやってバトルを開始した。
まぁ個別に交渉するよりは楽でいいかと思い暫く待っていたが、とにかく彼らの話い合い(言い争いに近い)は長い。こっちはすっかり暑さで衰弱してしまった。10分ほど待って、ようやくこのグループで一番偉そうだった髪の薄いオヤジに(勝手に)決まった。
言い争いに敗れた2人の戦士、いや運転手たちの恨めしそうな視線を感じたが、「これも君たちの競争社会だ。あきらめてくれ。」と心の中で呟いた。
いかにも年季の入ったリクシャに乗り込むと、「で、お前はどこに行きたいんだ?」と聞いてくるオヤジ。
!!思わずコケそうになる。まるでコントだ・・・。
さっきのバトルで頭に血が昇り、客がどこに行こうとしてるのか全く覚えていないのか? いったい彼らは何を基準に、どんな議論をしていたんだ??
思わぬ天然ボケにツッコミを入れるところだが、暑くてその気力も失せ、「〇〇だ。〇〇〇の近くだけど知ってるのか?」と尋ねると、「No problem. 俺を信じろ!」と自信たっぷりな顔でようやく発進。
出発するだけで、この疲労感は何なんだ・・・
いざ走り始めると、ドアも窓も無いリクシャは、周囲の暴力的な排気ガスとアスファルトからの容赦ない照り返しをまともに浴びる。不快指数は急上昇だ。さらに交通マナーなどという概念の存在しないインドの道路をリクシャで走ると、猛獣がウヨウヨいるサファリを自転車で走るに等しい感覚にも見舞われる。そういえば、この貧弱な車体でトラックやバスに巻き込まれたらひとたまりもないぞ。いや、バイクや牛車と衝突したって命の保証はないかも・・・そう感じた時には既に手遅れだった。
オヤジは急激にスピードを上げたかと思うと、視界に入る全てのものにクラクションを浴びせ、前を走る車と車の間を強引にこじ開けて突っ込んでいく!さらには後ろから煽ってきた若い運転手のリクシャと競争を始めたではないか!!
「安全運転してくれ!」と叫んでも、オヤジの返事は「No problem. 俺を信じろ!」
だめだ・・・。 目の色が変わっている。
外国人の乗客にいいところを見せたいのか、己の運転技術に陶酔しているのかよく判らないが、この暴走モードを止める手立ては無かった。
暴走オヤジは、「まだ青二才の若僧には負けんぞ」と言わんばかりに、インドのデコボコ道を飛び跳ね、右に左に車線を変え、渋滞にさしかかると路肩や歩道も関係なく激走する。人も動物も容赦なしにクラクションで威嚇! 入り組んだ路地のコーナーもドリフトする勢いで爆走する2台のリクシャ。若僧の運転技術もなかなかのものだったが、後部座席の乗客がふくよかなオバさま2人というハンディキャップを背負っていたせいか、次第に引き離されていく。(オバさま方の顔も引きつっているように見えた)
やがてライバルリクシャは遥か後方に見えなくなっていった。すると暴走モードから覚醒したのか、オヤジは満足気な表情でスピードを落としたかと思うと、辺りを見回しながら信じられない一言を放った。
「ここはどこだ?」
だめだ・・・。 頭に血が登って、自分がどこを走ってきたのか完全に見失っている。
仕方なくスマホを出して地図(GPS)で現在地と目的地をオヤジに指し示すが、不思議そうな顔をするだけで反応がない。
だめだ・・・。 地図を判っていない。
(ちなみにインドの民は、地図そのものを理解できていない人が多い)
「我々は今ここにいるので、その先の道を右に曲がって真っ直ぐだ」と説明すると、
「お前は何で俺たちの居場所が判るんだ?」と怪訝そうにスマホを覗き込むオヤジ。
「いいから言う通りに走ってくれ」
主導権を奪われておとなしくなったオヤジを案内し、ようやく目的の店に到着した。
帰りにまた違うリクシャと交渉するのが面倒だったので、「安全運転するなら帰りも使うよ」と言うと、オヤジはニッコリ笑って、「No problem. 俺を信じろ!」。
その言葉はもう聞き飽きた。いまさら何を信じろというんだ・・・。と思いながらも、オヤジを駐車場に待たせて買い物へ。
猛暑による汗と、冷や汗をたっぷり含んだシャツが気持ち悪かった・・。
チェンナイでは貴重な日本食材の店で、たまたま入荷されていた冷凍肉を見つけて購入。
「クーラーバックを持ってきて良かった」と、インドに来て改めてクーラーバックのありがたみを痛感する。その他の食材や、暑さ凌ぎのアイスクリームなどを手あたり次第に買いあさった。
駐車場へ戻ると、暴走オヤジは言われた通り待っていた。(客の戻りが遅いと、待つのがイヤで消え去るケースが多いので、料金は最後に払うことにしておいた)
意外なことに(忠告が効いたのか)帰りの運転は控えめだ。しかも、途中から私の顔色をちらちら伺いながら運転している様にも見えた。
1時間半ほどで何事もなく家の前に到着。往復分の300ルピー+チップを手渡すと、「また会おう」と足早に去るオヤジ。
帰りは少し拍子抜けしたが、なかなか面白いオヤジだった・・。
そんな気分も束の間、部屋に戻ってクーラーバックを開けようとして愕然とした。
確実に閉めたはずのチャックが開いているぞ!
チャックの隙間から容赦なく侵入した40℃の熱風でアイスはドロドロに溶け、カップの淵から流れ出しているではないか。しかもその下に入れてあった冷凍肉も強制解凍されてアイス汁漬けになっている!
一体どういうことだ?! 店を出る前に2回も確認したのに!
そういえば・・ 帰り道に2~3回ほど車を降りて道端で写真を撮ったが、その間にオヤジが開けたのだろうか? 日本人の買い物に対する興味と好奇心から覗き見したのだろうか? すぐに私が戻ってきたので、慌ててチャックを閉めずに放置したのかも知れない。途中からオヤジの様子がおかしくなったのも、そのせいか?
色々と疑惑はあるものの、証拠は無いので断定は出来ない。
だが今日1日苦労して手に入れた食材の憐れな結末は紛れもない事実であり、暫く茫然自失の状態に陥ったことは言うまでもない。
その日以降リクシャに乗る気にはならず、暴走オヤジの姿を見掛けることも無い・・・。



チェンナイでの食生活
◇ 食材の調達
以前紹介したように、チェンナイで日本人の好む食材を入手するのは極めて困難であり、何でも手軽に買える日本のスーパーやコンビニが如何に優れているかをつくづく実感する。
初めてチェンナイに来た頃、買い物をしようと(比較的品揃えにのいい)ローカル店に行って愕然としたのを思い出す。
牛肉が無い。豚肉が無い。魚介類が無い。まともな野菜が無い。ラーメンもうどんも蕎麦もソーメンも無い。味噌も醤油もソースもダシも酢もみりんもマヨネーズもカラシもワサビも無い。ハムもツナも海苔も納豆も豆腐もコンニャクもハンペンもコロッケも餃子も無い。パン粉も唐揚げ粉も天ぷら粉も無い。卵は生で食べられない。アルコール類も一切無い。
無いものを挙げていくとキリがないことに気付いたので、容易に手に入る食材を挙げると、インド米、パン、パスタ、チャパティ用の粉、鶏肉、果物、チーズ、くたくたの野菜、生では食べられない卵くらいであろう。
尚、カレー用のスパイス類は驚くほど豊富で陳列棚の一面を占めており、その種類は何十何百とあるものの、どう使ったらよいのかさっぱり判らない。インド米はカレーに合わせた水分の少ない種類であり、日本米の様なしっとり・もちもち感は無い。
野菜には高濃度の農薬が付着しているので、葉物野菜は食べないことにしているが、根菜類も当然農薬を吸収しているので出来る限り摂取量は抑えたい。
以上が概ねの状況であるが、これからいったい何を作って食べていけばよいのか頭を抱えたものだ。この状況下で、例えば「すきやきを食べる」ということが、どれほど困難で夢のような話であるか、解って頂けるだろうか。それほどまでに現代の日本人の食生活とはかけ離れた食材環境なのだ。
そんなチェンナイでも、肉類(当然冷凍)や日本の調味料などが買える貴重な店が2~3件ほどある。
小型の業務用冷凍庫1つか2つに数種類の冷凍肉や冷凍魚があり、陳列棚には日本と韓国の調味料や缶詰め類が並んでいるだけだが、インド生活が長くなるにつれ、そこがどれほどありがたいものかを心底感じるようになってくる。
何日も砂漠を彷徨って疲れ果てた旅人が、やっとオアシスに辿り着いたような感情が生まれるのだ。
価格は日本の2倍~5倍ほどするが、値段を気にしてはいられないほどに食生活は追い詰められる。
<赤坂>
日本食レストランだが、冷凍豚肉(タイ産)や冷凍サケの切り身などを買うことができる。ただし入荷時期は不確定なので、必ずしも手に入るとは限らない。
<ソウルストア>
主に韓国人向けの食材を揃える店。調味料・乾物・缶詰め・スナック等が買える。(日本のものもある)
<Epicure>
こちらも韓国人・日本人をターゲットにした店で、新しくてきれいな店だ。肉類の品揃えは一番かも知れない。
タイ産の牛肉・豚肉・ハム等(もちろん全て冷凍)や、豆腐・キムチも手に入る。
これらの店へは自宅から車で片道1時間以上かかるため、まとめ買いして肉類は冷蔵庫で冷凍保存するのだが、頻発する停電と度重なるバックアップ電源の故障、暑さによる冷蔵庫自体の暴走など、様々なトラブルとの戦いが同時に始まる。
一方で冷蔵庫に入りきらない常温保存品には、僅かな隙間から蟻の大群が侵入して壊滅することもしばしば。
とにかく常に食材全滅のリスクが付きまとい、一瞬の油断も許されない。
この食生活環境に置かれると、たまに日本から持ち込むインスタント/レトルト食品が、神からの授かりもののようにも思えてきた。
そして「賞味期限」という言葉を全く気にしなくなった・・・。
チェンナイの道路状況
インドのガソリン価格は、2015年現在で71ルピー(日本円で約140円)となっており、日本のガソリン価格とそれほど変わらない。しかしインドの物価を考えると、インドの民にしてみれば1リッターあたり1,100円位の感覚となるだろう。
<写真(下)もガソリンスタンド>
ディーゼル燃料も63ルピー(日本円で約120円)と安くはないが、少しでも安い燃料費で走れるディーゼル車が多いのがインドの特徴でもある。
◇ チェンナイの道路状況
しかしながら、このディーゼル車の排気ガスが酷い。とにかく古い車両や整備不良車だらけなので、特にトラックや路線バスから大量の黒煙が吐き出される。同時に庶民の足として使われているオートリクシャも、チェンナイでは古いタイプ(2サイクルエンジンを搭載しているもの)が殆どで、大量のバイクを含めた渋滞だらけの幹線道路は、猛烈な排気ガスの匂いで満ちている。
ありとあらゆる車両が道路を自由に走り廻り、2車線の道路でも勝手に4列・5列となっていく。
バイクの量も半端な数ではない。。
<バイクで運べるものは何でも運ぶ>
<逆走は当たり前>
<家族でお出掛け。微笑ましい光景と言いたいところだが、これでいいのか・・・?>
一方で、牛はというと・・・
きちんと路肩を右側通行する。
交通の邪魔にならない様、壁際を沿うように歩道(牛道?)を歩く。
中央分離帯(1mの幅)でくつろぐ。
交通量の多い時間帯は、路肩でも構わず車両が激走するので、意外にも中央分離帯の方が安全性が高いと考えているのかも知れない。いずれにしても牛の方が遥かに交通マナーを心得ている。
さすがインドのお牛さま。
なかには八百屋の前でイタズラするお茶目な牛もいるが・・
インドのトイレ事情
世界で2番目に人口の多いインド(12億人)だが、トイレの保有率は5割以下となっている。
また公衆トイレもごく僅かしかなく、トイレを持っていない人々は屋外で排泄行為を行う。
WHOとユニセフの調査によると、インドの人口の50%を超える人々が屋外で排泄をしており、世界で屋外排泄をする人口の5分の3を占めているという。つまりインドでは6億人以上(日本の人口の5倍以上)もの人々が毎日外で排泄していることになる。
確かに堂々と外で用をたしている人を毎日毎日見掛けるが、それが4人5人というレベルではない。
人気(?)のトイレスポットとして、線路沿い・道路脇・河川敷・砂浜・空き地等、様々な場所が見受けられるが、基本的に「所構わず」といった方が正しいかも知れない。。
これは過去数千年の習慣に基づいており、その行為を誰も問題視することなく自然に受け入れられているのが現状だ。
また鉄道車両のトイレは穴があいているだけで外に排出されるので、線路上にも汚物が散乱している。それに便乗(?)してか線路上でする人も多く、1日累計1100万人が使うインドの鉄道は「地球最大の屋外トイレ」になっているそうだ。
一方で公衆トイレの汚れと臭いは想像を絶する凄まじさで、とても写真撮影に耐えうる状態では無い。よって今回は画像のアップは自粛して個室の様式だけを紹介すると、
<個室空間>
・基本的にドアは無い。
・ドアどころか、隣との仕切りも無いのが殆ど。
<便器>
・和式スタイルだが、日本の様に先端の丸みを帯びた部分が無い。
・地面に穴を掘っただけのところも多い。
<洗浄>
・紙を使う習慣はないので、水を左手にとって直接洗うのが一般的。
・ただし水が出る公衆トイレを見つけるのは極めて困難。
(インドの民はペットボトルに水を入れて持ち込む)
・水が出る公衆トイレには、低い位置に蛇口が付いており、その下に桶が置いてある。
この桶に水を入れて右手で流しながら左手で洗う。
・下水道は整備されていないので、そのまま垂れ流しとなる。
<その他>
・外国人も来るような観光地には、拭いた紙を入れる容器が置いてある。
(紙を流すと必ずといっていいほど詰まるためだが、それを知らずに流して溢れているところが殆ど)
・もちろん紙は持参しないと無い。
・そんな過酷な公衆トイレにも番人がいて、10ルピー程度を要求してくる。
(どこからか委託されているのか、勝手に番人になっているのかは不明)
この状況に対して、インド新政権はトイレの浄化と増設を重要な政策のひとつとして打ち出している。しかしトイレの設置の前に下水道などのインフラ整備が必要だと素人でも指摘できる状態だ。更に地方都市では下水どころか上水道すら整備されておらず、電力不足によるパワーカットが常態化しているこの状況では、どこから手を付けていいものなのか・・・実に困難極まりない。
そしてもうひとつ問題なのは、トイレを設置してもインドの民が使わない可能性が高いことが挙げられる。
先述した「過去数千年の習慣」を変えるためには、不衛生な環境による人体への悪影響に関する意識づけや、更にはトイレの使い方に至るまで教育が必要になるという。
近年の経済発展が目覚ましいインドであるが、基礎的なインフラが整備されていないのが現状であり、様々な社会システムも全く追い付いていない。
トイレひとつ例にとっても、その背景には巨大な課題が山積していることが垣間見えてくるのだ。
いずれにしろ今の公衆トイレは汚物まみれで足の踏み場さえ見つからない惨状なので、屋外でする方がマシかも知れないとさえ思ってしまう。
幸いなことに今まで「個室」を使わずに済んできたが、緊急時の対処方法を考えておかなければ・・
インドの結婚式
◇ インドの結婚事情
インドでは結婚は家庭同士の結びつきと考える風習があり、お見合い結婚がほとんどで、そのお見合いも両親が決める事になるそうだ。
インドには多数の宗教と、未だに社会に根付いているカースト制度(法律では撤廃されたが慣習として残っている)、菜食/非菜食などの慣習もあり、こういった慣習が一致しているもの同士でないと結婚は難しいものと考えられている。これらの条件に一致する相手をお見合いで探すことになるうえ、「家族」の考えが重要視されるお国柄なので、お見合い相手を探す場合も父親がすべて済ませてしまう事が多いそうだ。
更に「占星術」で相手との相性を調べるそうだが、「占星術」といっても日本の「占い」とは異なり、宗教上重要視されるものらしい。
日本のお見合いと大きく違うのは、相手と会食などをする機会が無く、親が見つけてきた時点でほぼその相手と結婚することは決まっているということになる。
古くからの伝統や家系を重んじるインドでは、この方法が一般的で、大半が互いに不満なく結婚するらしい。
◇ 結婚式のスタイル
インドでは結婚式を一週間以上かけて行う。内容はとにかく派手で、例えば嫁入りの儀式として花嫁が象に乗って親戚一同と新郎の家に向かい、この移動中も大音量で音楽を流し、列も電飾で華やかに装飾してパレードをしながら向かう。
その後も新郎の家でみんなでご飯を食べながらパーティをするのだが、その最中もダンスパーティーなどで一晩中踊りまくるそうだ。
この長い結婚式の途中に、日本の「披露宴」にあたる式が行われる。屋外で派手なセレモニーを行うのが多いらしいが、最近(特に市街地)では式場を借りて屋内で開かれるスタイルも増えている。
<招待状はこんな感じ>
<過去に出席した式場(屋内開催)の様子>
◇ 披露宴の服装
基本的に何でもよい。ジーンズにサンダルでもマナー違反にはならない。
女性は目いっぱいお洒落をしてくるが、脚を出すのは下品と考えられている。
◇ ご祝儀
お祝いの品を渡す人は参列者の5%程度。ご祝儀を渡す人は1%もいないかも知れない。
さすがに手ぶらで行くのも気が引けるので毎回持っていくことにしている。
ステージに上がって新郎新婦と挨拶する際に直接渡す。
<ご祝儀袋:割り切れない金額となるように、1ルピーが貼り付けられている>
◇ 食事
ひな壇にいる新郎新婦へ挨拶して一緒に写真を撮った後、自由に食堂へと向かう。
ビュッフェスタイルもあるが、係員が食事を配って回るスタイルも多い。
ベジタリアン用の食事が基本。もちろんスプーンやフォーク等は無いので手で食べる。
<バケツにいれた米やカレーなどを配っている>
<バナナの葉っぱの上に、次々に乗せられていく>
みんな自由な時間に来て自由に帰っていくのだが、全く関係ない人々も勝手に入ってきて食事だけしていく。
インドのゴミ事情
インドの都市全体に言えることだが、チェンナイも街全体が巨大なゴミ捨て場の中に存在している感じだ。
ゴミの収集・処理能力が絶対的に不足していることと、予算不足・脆弱な管理制度・一般市民のゴミに対する無関心等、さまざまな理由がある。
一応ゴミ回収の仕組みやはあるものの、全く処理しきれていない。
このため住人達は、道端へ勝手にゴミ溜め場を作るので、収集されることなく片付ける人も無く、日々ゴミの量が増大している。
特に河川は彼らの格好のゴミ投棄場となっており、周辺は悪臭に満ちている。
一方で収集されたゴミも、そのままゴミ投棄場へ放り投げられている。
ゴミを処分する人材や専門技術も足りず、野積みと野焼きが廃棄物処理の原則方法となっているようだ。
写真(下)はチェンナイ最大のゴミ投棄場。強烈な腐敗臭が漂う。
ゴミの山から染み出た液体が手前の水溜り?に流れだして溜まっており、こげ茶色と深緑色を混ぜたような水となっている。水溜りにはヘドロだけでなく、周囲には得体の知れない浮遊物も・・・
ここへ次々とゴミの回収トラックがやってくる。どこまでゴミ山が高くなっていくのだろうか。
写真(下)は小規模のゴミ投棄場。これ以上積み上げられず飽和状態になると、そのまま火を付けて有毒ガスと灰を放出する。
近隣の草木には、灰や埃が積もっている。
インドのゴミ問題は、数ある大きな課題のほんの一部にすぎない。
カーンチプラム
昨年の10月。同僚のインド人に、「チェンナイ近郊に、昔のインド文化に触れられるところはあるかな?」と尋ねたところ、「カーンチプラム辺りがいいかも」との答え。
チェンナイから南西に約80kmと近い上に、彼もヒンドゥ教徒で寺院に良く行くことから、詳しい話が聞けると思い、週末にガイド役を頼んで案内してもらうことにした。
まずは事前知識を頭に入れておこうと、当日の車中で彼に聞いた話をまとめると、
・カーンチプラムには7-8世紀のパッラヴァ王朝をはじめ、幾つかの王朝が建てた数多くの寺院が残されている。
・そこは、かつて1,000以上のヒンドゥー寺院を持ち、寺院都市として栄えた街である。
・現在でもヒンドゥの7聖地に数えられていて大勢の巡礼者が訪れる。
・町の南側にはヴェガヴァティ川があり、橋を渡ると絹織物の産地と名高いカマーキシ・アンマン集落がある。
とのこと。
◇ エーカン・バレシュワル寺院
そうこう話を聞いているうちに、1時間半ほどでカーンチプラムに到着。まずはエーカン・バレシュワラ寺院へと向かった。当然のことながら裸足になるので、今回は車に靴を置いていくことにした。(前回の教訓)
まず目に入ってきたのは、この寺院のシンボルである高さ60mのゴープラム(塔門)だ。
数多くの巡礼者や観光客がシヴァ神を祭ったこの寺院を訪れるので、寺院の正面広場にはお参りの品物やお土産を扱う露店が多数あり、客待ちのリクシャーも多い。
ここは有名とはいえ地方の寺院なので、外国人の姿は殆ど見られない。そのため日本人は余計に目立つ。案の定、地元の民たちが、「外国人は入場料を払え」とか「カメラの持ち込み料を払え」とか次々と言い寄ってくる。
しかし今回はインド人の同僚が一緒なので、そんな輩を「டோண்ட் வந்து !」とタミル語で一蹴。
実に頼もしい。
塔門をくぐると神殿が現れる。神殿の広間には天井を支える石柱が多数林立しており、柱の間になっている。石柱のひとつひとつには精緻な彫刻が施されている。
石柱の列を長手方向から見ると、左右は石柱、上部は石の天井、中央に神像の配置となっており、岩を彫り込んだ石窟寺院を思わせる。
神殿の上部には多くの神々の立像が巡礼者を見下ろしている。層をなして天界の高みに向かう構成,下から見上げると神々と視線が合う構図だ。これらの神々を仏像に置き換えると,ボロブドゥール遺跡の構図を連想させる。
寺院内部の回廊も天井が高く、厳かな雰囲気を醸し出している。
神殿の中にヒンドゥ教徒以外は入れないので、シヴァ神殿内の神聖な場所を囲む回廊を歩いてみた。正式な参拝時には、この回廊を祈りながら何周もするとのこと。
◇ ヴァラダラージュ寺院
次に向かったのはヴィシヌ神を祀るヴァラダラージュ寺院だ。チョーラ王朝のヴィジャヤラージャ王によって建てられたとのこと。
この寺院で特に有名なのが、100本石柱の広間ということだ。
さっそくまた裸足になって中へと入る。だんだんと素足で歩くことに抵抗を感じなくなってきたが、どこに行っても動物の糞がそこらじゅうに落ちているので、踏まないようにするのが大変だ。
ゴープラム前の広場には露店が並び、沐浴を終えた人々が歩き回っていた。
ゴープラムをくぐって見えてくるのは沐浴をする池だ。しかし
この寺院の目玉である100本石柱の広間は、話に聞いた通り素晴らしいものだ。幾つかの世界遺産でも紹介したが、インドの石彫刻は他に類を見ないほど美しい。
この寺院の神殿は完全に外国人はシャットアウトされて、中まで入ることは出来なかったが、石柱の広間を見られただけでも満足だった。
◇ 絹織物の町
カーンチプラム寺院群の近くで栄えたのが絹織物の町であるカマーキシ・アンマン集落だ。
せっかく来たので近くの織物店も覗いてみた。
日本ではとっくに引退した手動の織物機が、ここでは現役で活躍している。職人に色々聞いてみたかったが、気が散って間違えると可哀想なのでやめておいた。
店内では婚礼衣装となるサリーの生地を探しに、沢山の家族が訪れていた。インドの婚礼衣装は、親戚一同が一緒に来て品定めをするらしい。
一通りカーンチプラムを廻って、インド料理のレストランへ。
メニューを見てもどんな料理か全く判らなかったので、日本人でも食べられそうな品を同僚が選んでくれた。
この1日は、彼に感謝感謝である。
インド人って・・・
インド人の中にも危ない人々はいるものの、基本的には温和でフレンドリーである。
これまでの彼らの言動を見てきて感じたことをまとめてみると、以下のように大きく2つの特徴が見えてきた。
◇ 規範にとらわれないインドの民
多くのインドの民は自分の言動について、周りの人々がどう感じるかについて気を遣うことが極端に少ないと感じる。基本的な社会的ルールを別にして、自分の考えや本能の赴くままに「とりあえずやってみよう」というのが彼らのスタイルのようだ。小・中学生をそのまま大人にしたような感じとも言える。
場当たり的な対処(やってみて出来そうなこと)には全力を尽くすが、根本的な要因や仕組みにまで追求しない傾向がある。言い換えれば、応急処置がうまくいけばそれを何度も繰り返し、応急のまた更に応急処置へと果てしなく発展させていくイメージだ。
日本人から見れば、「何故そっちに労力を使う?」と首をかしげるところだが、とりあえずその場を凌ぐ能力には驚くほど長けている。
制約事項を一切取り払った豊かな発想に、呆れを通り越して感心してしまうこともしばしば。
しかしそれが運転マナーの悪さや、列を作れず次々と横入りしてくる行動に繋がっているのだとすれば、残念なことだ。
◇ 時間にとらわれないインドの民
多くのインドの民に見られるもうひとつの大きな特徴は「時間に対する大らかさ」である。
列車や飛行機が当然のように何時間も遅れ、しかも誰もそれを気にしないという風潮を持っている。
これはインドにおける輪廻転生という特有の思想が背景にあるのかも知れないが、この時間感覚のズレは、時間を守ることを躾とする日本人にとって頭を悩ませることになる。
例えば、何かを頼まれた時に彼らが良く使うのが「Tomorrow」である。
先日もエアコンの修理を頼んだ時に返ってきた答えが「OK! Tomorrow」。
次の日にいつまで待っても来ないので電話すると、
「今日は忙しいから行かない。Tomorrow」。
さらに次の日も来ないので確認するとまた同じ答え。このやりとりが延々と続く。
Tomorrowは「明日」ではなく「今日ではない未来」と解釈しておく必要がある。
同様に「Two minutes」も頻繁に使われる。当然の如く2分ではなく10分以上、或いは1時間以上待たされることも稀ではない。(文字通り2分で嘘だとばれてしまうのに、全く気にしていない)
そういった時間感覚でありながら、車が来ない交差点を赤信号で待っていたり、割り込みもせず整然と並んで大人しく順番待ちしている日本人の行動は、全く理解できないようだ。
グローバルなビジネスシーンにいる人々は除くものの、基本的に大雑把なインドの民。
しかしインドの民から見れば、異常に神経質な日本の民である。
インド人の服装
日本人にとってインドといえば「ターバン」というイメージがある。
ターバンの風習はシーク教徒によるものであり、彼らは髪を切らずに束ねてからターバンを巻く。発汗の抑止や、布を巻くことで空気を含ませて頭部の暑さを抑える効果があるらしい。
しかしシーク教徒はインド全体の2%という比率に加え、最近は帽子で代用する人も増えてきているため、実際に巻いている人は殆ど見掛けない。
◇ サリーとパンジャビ・ドレス(スーツ)
チェンナイでは殆どの男性が洋服(シャツ・ズボン)を着ているのに対し、女性は民族衣装を着用している。
ヒンドゥ教の教えにはサリーを着る事が奨励されており、布地を裁断する事なく身にまとう事が浄とされるという観念からとのこと。
サリーは幅1m、長さ5mほどの一枚の布で、それを体に巻き付けていく。
柄や色に大きな流行や決まりごとはなく、昼間は明るい色やライトカラーが好んで着られ、夜のパーティーなどでは暗い色や濃い色が好まれるそうだ。
また最近は「パンジャビ・ドレス(スーツ)」を着る人が増えている。これはワンピースとスパッツに分かれ、首にはストールを巻くというスタイルで、特に若い女性に好まれているとのこと。
北インドにはジーパンなどの洋服を着る女性もいるが、保守的なチェンナイでは、ほぼ100%の女性がサリーまたはパンジャビを着ている。
<婚礼用のサリー>
インドのライフライン(水道事情)
◇ 水道事情
インドの水道水は水道管の破損のため汚染されていることが多く、タンクも汚染されやすいため蛇口から出る水をそのまま口に入れることは出来ない。また地域によっては水道管と下水管が併走していることがあり、どちらの管も破損しているため下水が水道管に混入することがよくある。このためコレラや腸チフスなどが流行するという事例もしばしば発生している。2010年にデリー水道局が各家庭の蛇口からの水道水を検査したところ、5件に1件の割合でバクテリアが検出された。
汚染物質や塩化石灰も大量に含まれており、水道水で湯を沸かすと、やかんや鍋の淵が真っ白になる。シャワーやトイレの管も、固化した石灰を定期的に除去しないと詰まる。特にチェンナイ市街地の水道水は悪臭を伴うことがある。
汚れに対する許容範囲の広いインドの民でさえ水道水は飲まない。つまりそのくらい「絶対に飲んではいけない」水なのだ。
このため飲料用・調理用は勿論のこと、野菜や果物を洗うのにもDrinking・Waterやミネラルウォーターを使用している。特にインドの野菜や果物には高濃度の農薬が付着しているので丹念に洗わなければならない。水道水を使うと別の物質で汚染されてしまうからだ。
やむなく食器を洗う際は水道水を使うのだが、洗い終わった後に水滴が残らないよう完全に拭き取る様にしている。
このように自宅で調理する際は出来る限り注意しているが、外食の場合はそうはいかない。水道水をそのまま調理に使っていたり、包丁やまな板に繁殖した細菌が、食材の切断面に付着していることもある。どこまでリスクを軽減できるかは、本人の自己防衛能力に懸かっている。
尚、自宅で使うDrinking・Waterは、週末にまとめて買いに行く。怪しい水も多いので、如何に良心的な店を探して良質な水であるかを見極めることがポイントとなる。20ℓのボトルを毎週1~2本消費するので、その運搬も一苦労だ。
話は少し外れるが、インドの排水管には排水トラップ(排水管をU字に曲げ、水を溜めておく仕組み)がなく、そのため下水管の悪臭が直接あがってくる。
昆虫や不思議な生物が排水口から現れることも珍しくない。
ところでチェンナイ市の下水整備は遅々として進んでおらず、毎日数千万リットルの未処理の下水が、川や運河を通じてベンガル湾にそのまま流れ込んでいる。
トイレの排水や生活排水だけでなく、様々な環境汚染物質(鉛、水銀、カドミウム等々)をたっぷり含んだ産業排水も、そのままタレ流しになっているとのことだ。
農薬についても同様で、農地に大量にまき散らかし、作物だけでなく土壌の汚染も深刻化している。高濃度の農薬が雨とともに地中に染み込み、地下水脈へと入り、川から海へと流れ込む。近海に生息する魚貝類がそれらを蓄積して、また人間の口へ・・・。
環境汚染に対する規制が殆ど機能していないこの国で、この現状を改善していくのは容易なことではない。
尚、インド野菜の残留農薬に関する海外誌の記事を見つけたので参考まで。
<赤グラフがEU穀物の残留農薬、青がインド穀物の残留農薬: 2011年の記事>

ほうれん草:40倍(エンドスルファン)
ジャガイモ:50倍(メチルパラチオン)
トマト:70倍(DDT)
カリフラワー:150倍(マラチオン)
おくら:750倍(キャプタン)
DDTやキャプタンは発がん性物質。
DDTやエンドスルファンは、日本では全面使用禁止物質。
インドのライフライン(電気事情)
特に生活に直結するライフラインの状況について幾つか紹介していきましょう。
◇ 電気事情
インド生活における数々の困難のひとつに「停電」がある。電力の需要に供給が全く追い付いておらず、最大電力で17%の電力が不足している。原因は送電時のロスが大きいためだが、それ以外にも料金未払いによる資金不足や「盗電」による経済損失が大きいことも水準を下げる要因らしい。この盗電によって総発電量の30~40%が消えているとのこと。このため電力会社は民営化が難しく国営となっている。
チェンナイの街を歩いていると、電柱や電線に怪しげなケーブルがぶら下がっていたり、巻き付けてあるのをあちこちで見掛けるが、これらが全て盗電であることを後から知った。手作り感たっぷりの個人送電システム?を至る所で勝手に構築している。
停電が起きると、盗電している連中が真っ先に文句を言うらしい・・・
その一方で、正規の送電工事も実にお粗末である。朽ちかけて傾いた電柱でも構わず電線を這わせ、電柱がなければ途中の木や枝にも平気で巻き付ける。配線で余った電線は、そのままグルグル巻きにしてぶら下げておく。どこからどういうルートで電気が供給されているのか、さっぱり判らない。
酷いのは、木の剪定業者が枝と一緒に誤って電線も切ってしまうことだ。この原因による停電も少なくない。しかも修理工事の際、また電線を木に巻き付ける。そしてまた枝と一緒にカットされる。
このループも延々と繰り返される・・・。
<木の枝に無造作に這わせられた電線>
特に暑季は1日に何十回と停電が起こるので、日本人が住居を決める際はバックアップ電源(自家発電機)を持つ物件が絶対条件となる。物件探しの際に、この条件を忘れると悲惨なことになる。
しかしバックアップ出来る電力量には限界があり、せいぜい冷蔵庫と照明までだ。停電でエアコンが切れると、あっという間に部屋の温度は40℃に到達する。外はさらに暑いし、周辺にエアコンを効かせた施設や店舗など当然無い。涼をとるためにシャワーを浴びたくとも、水道から出てくるのは屋外のタンクでチンチンに熱せられたお湯だ(熱湯に近い)。命綱となるのは、冷蔵庫に蓄えておく氷と氷枕。
まさにバックアップ電源と冷蔵庫が命を繋ぐカギとなる。
インド人の暑さへの耐性には感服してしまう・・・。
次回は、更に大きな問題を抱える「水道水」についてです。
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